以前こんな記事を読んだ。死が確定したヒトの脳は苦痛を無くしもしくは苦痛を感じないほどの快楽を脳に発生させるのだと。というのを仮説とするとこの体にある体温や死後微塵も残らない体内の生物の行き所そして走馬灯なる現象にも概ね納得がゆく。 image.jpg快楽を感じることを何か美味いものを食すと例えた時或いは食事そのものも快楽であるがどちらも「空腹は最高の調味料」なんて言葉があるように足りてない状態なほど手にする、起こる、得る、食すことでより強い快楽や満足感を与える
さて前提として死は快楽としたがより素晴らしいものにするにはどうすれば良いか。上記に習ってこの死までの時間を精一杯かけることでは無いかと私は結論づけた。どんな苦境であれ最後には最高の快楽がある。そう思えば少しは確実に起こりうる死への恐怖に目を背けずに居られるのでは急いだせいで料理を台無しにせずに居られるのでは私はそう考えることにしました。
死はヒトに与えられた最も魅力的で愛に満ちたごちそうでは無いでしょうか。

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